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アンドレアス・ベッカー〜挑戦は、始まったばかり。

アンドレアス・ベッカーはキーンバウムで行われた世界選手権第1次選考を1位で通過。その一週間後には対オーストラリア・スペイン戦のためにルードヴィヒスブルクへ行き、その次の週にはフランスとの対抗戦に参加した。どの試合でもベッカーはつり輪で最高点をマークしている。クラブ選手権(ブンデスリーガ)が5月2日から始まったため、毎週末には試合が行われることになる。ベッカーのクラブの仲間、ヤン・ペーター・ニキフェロウが世界選手権やオリンピックに集中するためにクラブ選手権への出場を見合わせたのに対して、ベッカーはすべてのクラブ選手権試合に出場するつもりだ。「今年始めまでは、そんなに熱心に試合する気はなかったんだけどね」と、国際試合へのカムバックを果たした彼は言った。そんなベッカーに、もう一つのきっかけが生まれた。というのも、彼の長年のライバルでもあるイタリアのユーリー・ケキもまた、カムバックを表明したのである。彼を良き友人と認めるベッカーは「ユーリーに天津の世界選手権で会えるのを楽しみにしているよ。何しろローザンヌの世界選手権で顔を会わせたきりだからね」と、今から待ち切れない様子だった。

あの人は今?

1999年1月

カトリン・ケビッツ好調!

1998年12月

ドイツのホープ、グリット・ホフマンとカーチャ・アベルが背中の故障に悩んでいる間、ベルリンのチームメイト、カトリン・ケビッツがいくつかの試合で健闘している。11月27日から29日に行われたDTBカップでは、平均台で3位になった。

WDRの映像より

28th, September 1998

3月に公式にカムバックを表明し、(コトブス・グランプリを参照)ついにアンドレアス・ベッカーが試合に現われた。その復帰試合はビールフェルト近郊、レオポルズシェーエで9月12日に行われたレオ・カップ。この試合にはベッカーを含むSCベルリン、ドイツ選抜(ニキフェロウ、エルシュ、トバ、ヴァルター)、スイス、リトアニア、SCコトブス、それに地元のレオポスズシェーエのチームが参加した。ベッカーはつり輪で9.55点という、マリウス・トバに次いで2番目に高い得点をマーク。しかし他の種目は良い点数ではなかった。(あん馬8.30、平行棒8.65、鉄棒8.85)

その後ベッカーは9月26に行われたクラブ選手権(ブンデスリーガ)に出場。つり輪で最高点の9.70をマークした。この演技内容は決して古いものではなく、ベッカーは新しい技に取り組んでいた。彼のチーム、SCベルリンはOSCポツダムに勝ち、リーグシーズンの好調なスタートを切った。

写真提供: TG Saar

98年8月

セルゲイ・ハーコフがトルコへの休暇旅行の支度をしていたとき、モスクワの知人からの電話が彼にショックを与えた。彼の友人でもあるロシアの選手、エフゲニー・シャバエフが心臓発作で路上に倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。ハーコフにとってシャバエフはかつてのロシアのチームメイトであるだけでなく、現在のTGザールのチームメイトでもあったのだ。「こんな突然の死にはどうすることもできない。でもこれが人生というものだよ」とハーコフは語った。「僕たちのチームは重要なメンバーを一人失って混乱している。エフゲニーは今年も僕たちのチームに加わるつもりだった…」

続報

(98年9月28日)

TGザールはシャバエフに代わり、ドミトリー・バシレンコを招待する。しかし外国からのメンバーを替えるのに、3か月の期間を置かなければならないというルールにより、アトランタ五輪ロシア代表のバシレンコは12月初め、つまりシーズンの終盤にチームと合流することとなる。それまで、肩の故障から回復したハーコフは、苦戦を強いられることになる。

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photos and text by
Katja Pfeilinsel
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