ワレリー・ベレンキ

生年月日: 1969年9月5日
出身地: アゼルバイジャン・バクー
愛称: ヴァーリャ、ヴァレーリャ
所属クラブ: WKTVシュツットガルト
コーチ: アナトリー・ヤルモフスキー
趣味: 音楽、水泳、テニス、卓球

国際試合での成績

1989年世界選手権 団体優勝(ソビエトチームとして)
1990年ワールドカップ 個人総合、つり輪、平行棒、鉄棒優勝
1991年世界選手権 団体(ソビエト)、あん馬優勝
1992年世界選手権 平行棒3位
バルセロナ五輪 団体優勝(EUN)、個人総合3位
1993年世界選手権 平行棒3位
1994年世界選手権 つり輪3位
欧州選手権 団体3位
世界選手権 団体5位
1995年世界選手権 個人総合5位
1996年アトランタ五輪 個人総合6位
1997年世界選手権 あん馬優勝

国内試合での成績:

1993年ドイツ選手権 あん馬、跳馬、平行棒優勝
1995年ドイツ選手権 個人総合、あん馬、つり輪優勝
1996年ドイツ選手権 個人総合2位、床5位、つり輪4位、跳馬7位
1997年ドイツ選手権 あん馬、平行棒、つり輪、鉄棒優勝

新・ドイツ人

1990年にドイツが統一したとき、数年後にソビエトの才能ある選手がこの国にやってくると、誰が想像しえたであろうか?ソ連崩壊後、ソビエトの選手たちはそれぞれの共和国、つまりロシア、ウクライナ、ベラルーシ、またはカザフスタンなどの選手として競技することになった。しかしベレンキの出身国、アゼルバイジャンは当時体操協会がなかったため、国際試合に出場出来なくなった。そして何よりもアゼルバイジャンは紛争の中にあった。そこで彼は他の国に移住し、その国の選手として競技することを決めた。彼の曹祖父がドイツ人であるため、彼はドイツに新天地を選んだ。

シュツットガルトで、ベレンキは現役選手として練習するだけではなく、10歳程の子供たちのコーチもしている。「いつか僕の育てた選手が世界チャンピオンになってくれればと思っているよ」

初めてベレンキがシュツットガルトにやってきたとき、彼はチームメイトのウベ・ビラーベックとへやを分けあっていた。その後は30平方メートル程のアパートに移り済み、現在ではシュツットガルト近郊の町、オストフィルデルンに自宅を構えている。ベレンキはまた、ロシア・ウラジミールに住む両親に仕送りをすることも忘れていない。

 

ベレンキの失恋話

1994年から1995年に書けて、ベラルーシのスベトラーナ・ボギンスカヤとのロマンスが囁かれた。試合で会えば、いつも2人は一緒だった。そしてベレンキは、ボギンスカヤの写真を肌身離さず持ち歩いていた。1995年の世界選手権では、ボギンスカヤと一緒にいられるように、ベラルーシの選手団と行動を取りたがった。特にさよならパーティではベレンキはドイツではなくベラルーシ選手団と共に現れ、ボギンスカヤと共に去り、その熱愛振りを見せた。

 

しかしこの「美女と野獣」の物語は終末を迎える。2人の恋は1996年に破れ去ったのだ。「僕はドイツにいたかった。彼女はアメリカにいたかった。それだけだよ。でもこれも運命だね」とベレンキは言った。

もうベレンキは恋に落ちないと誓ったのだろうか?それは違う。1997年夏、彼は元新体操選手のオルガと知り合う。彼女はシュツットガルトでスポーツインストラクターとして働いていた。今、この2人はオストフィルデルンで幸せな生活を送っている…。


ベレンキにとって大事な2人。
コーチのアナトリー・ヤルモフスキーとガールフレンドのオルガ

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写真と文
Katja Pfeilinsel
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